性の哲学3肛門性交
わたしは一度、ある女とホテルで肛門性交をしたことがある。浴室で女の体を背後から洗いながら、彼女の肛門を石鹸でこすり、背後から挿入した。膣とはちがう摩擦感があって気持ちよかったが、彼女に、気持ちいい?と聞くと返事をしなかったので止めた。いまふと考えてみると、肛門の穴の大きさはペニスが入るのに良いサイズであり、それは挿入されることを前提にしているのではないか?ということである。これは両性具有ではないか?とも考える。また、胎児には性別はなく、ある期間が経って初めて、雌雄がはっきりし、子宮やペニスが出来上がっていく。
これはシュレーディンガーの猫における、生きてもいる死んでもいるという世界であるし、この原理はいろんな世界の考え方を変えることができるのである。愛しているか?憎んでいるか?善なのか悪なのか?神かサタンか?などの疑問も両者でありうるということになる。今の時代のような二項対立ではなく両者混交なのである。それはこれまでのパソコンの原理のように、1か0、の組み合わせに、1でもあるし0でもあるという新しいジャンルができたのである。
