性の哲学5破壊と創造

  テレビが故障しているが、買い替える金がない。スマフォでユウーチューブを見るようになった。いろんなジャンルの投稿が掲載され、面白く、毎日観ている。今は、未解決事件を観ているが、被害者たちには申し訳ないが面白い。犯人が捕まらないことが想像力を膨らませ、犯人あてなど考えるとさらに面白いのである。一番興味があるのはワラビ採り殺人事件である。興味があるのは加害者がワラビ採りをしていた二人の主婦をレイプして殴打または包丁で何十か所もめった刺しにしていることである。さらに逃亡しないように二人の主婦のアキレスけんを切っていることである。

 加害者は一人だったのか?二人だったのか?わからない。指紋も体液も残っているが五十年たっても特定できず、警察が何らかの理由で闇に葬っているのではないか?という噂もある。

 興味があるのは加害者が性交して殺しているということだ。または殺して性交して殺したのか?顔を見られたから殺したのだろうか?二人の主婦は同じスーパーで働く友達で、もう一人参加するつもりであったが用事が出来て参加できなかった。ところが、五年後に彼女の家が放火され、暴行殺害されているのである。

 レイプ殺人は時々起こっているが、性と愛が一つであればそんなことは起こらない。そんな犯罪をする加害者の無意識世界はどんなことが起こるのか興味がある。

 自分も若いころ、性欲が強すぎたころには女を無理にねじ伏せたことがあった。事件にはならなかったが、振り返れば怖いことである。

 暴行殺人は破壊であり、性交は射精しての創造である。対立するはずの二つのエネルギーが同時に行われる。そのことをどのようにに理解すればいいのであろうか?既成概念では説明できない。

 矛盾対立するものがシュレーディンガーの猫のように重なり合っていると解釈すべきではないか?この世には愛と憎しみ、金持ちと貧乏、美と醜、神とサタンなどいろんな対立物が共存している。それらは相手を存在させるための構造ではないか?そして、両者は決してなくならないし、永遠に存在し続けるのである。

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